瀧島平八郎

瀧島商事株式會社代表取締役

練馬区西大泉在住  昭和12年生れ

瀧島さんは「うどん」の研究を30年ほど前から行っている。「うどん」を打つ道具もその頃から購入し、打っている。

大泉のうどん文化

 

私がうどんの研究を始めた30年ほど前にはもう周りではうどんを打つ人はほとんどいなかった。

私の子供の頃、祖父の実家が和光にあり、お盆に行き知り合いなどが集まると、祖父がうどんを打ってくれた。大泉・新座・和光などでは昔から米が取れず麦を作っていて、各家庭では冠婚葬祭などの時などにうどんを打ちふるまっていた。

武蔵野うどんは、私の祖父の頃はよく食べられていたが、その頃は、うどんはご馳走で人が集まった時などに作ってふるまっていて、普段は食べられなかった。うどんが良く食べられるようになったのは戦後で、米がなくてうどんを煮込んで(にゅう麺というが)ご飯の上にのせて食べ、又、うどん粉を練って(すいとんと言うが)食料不足の時の代用食にしていた。

うどんを打つのは、力が要るので男性の仕事であり足で踏んで作っていた。戦後は食料不足だったので代用食として家庭で食べられていた。店で食べられるようになったのは最近になってからだ。昔は肉は高級品で一般では食べられなかったから汁に油揚げを入れていた。

この辺のうどんは、地粉と言われた物を使い黒っぽいうどんであった。うどんの食べ方は盛りうどんが主であり、薬味は、土支田の言葉らしいが糧(かて)と言われ、なすや大根をゆでた物を汁につけて一緒に食べていた。七味唐辛子も使っていた。豚バラ肉を使うなどはごく最近の話である。

昔のうどんに近いものを出すのは、「豊嶋庵」という店に「田舎うどん」というものがあり、昔のように油揚げの入った汁を使い、ただ、そえてあるのが天ぷらで、天ぷらなどは昔は食べられないのでその点は昔のうどんとは違う。又、客が好まないので昔のうどんのように麺の色は黒っぽくはない。

昔そばを食べなかったのは、そばの実はこの辺では取れず、遠くから持ってきたもので高価なものだったためだ。

 

豊嶋庵:練馬区西大泉3−1−3 Tel:03−3922−5089